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【第12回】 銚子スポーツタウンコラム   私と甲子園  ― 最終回 ―

【第12回】 銚子スポーツタウンコラム   私と甲子園  ― 最終回 ―

東関東大会の千葉県代表決定戦で宿敵、習志野高校を破り茨城県代表との戦いの相手は土浦三高。当時は今のように相手校や選手の特徴などの情報などほとんどない時代で、お互い正面からぶつかり合った戦いでした。1点先取した後、味方のエラーで1対2となり、8回裏に1死3塁のチャンスを迎えて4番の私の打順だ。相手監督はバッテリーをベンチ前に呼び作戦を授けている。私が恐れたのは「敬遠」でした。外野フライでも同点の場面。試合再開となり、相手は「勝負」と出て来て、内心“しめた”と思ったのが本当の気持ちでした。カーブをバットの先端で捉えてレフトへ、打球は外野席に飛び込み逆転2ラン。決勝は日立一高戦。前日の苦しい戦いと代わって9対0で、第47回大会の出場を果たしたのです。社会は2年間で大きく変化していて、前年に東京オリンピックが開かれ新幹線、東名高速道路も開通。お陰で、2年前の夜行寝台列車から初めての超特急での甲子園入りは夢のようでした。

2度目の開会式は2年前の初めての行進で味わった“雲の上を歩いているような“はなく、至極、平常心で行えたことは如何に経験・体験が人を成長させてくれるかでしょう。甲子園大会前から優勝候補と言われていたものの、私は常に冷静でプレーが出来たのが不思議なくらいで、1回戦の京都商業、帯広三条、丸子実業(現・丸子修学館)、準決勝は宮崎の高鍋高校。大会屈指の好投手の牧投手と投手戦となり2対1で勝利。決勝戦は勢いに乗っている初出場の福岡県の三池工業。マスコミの下馬評は大方銚子商業だと言われていたのが、結果は0対2の3安打完封負けでした。何故か、悔しさより“これで終わった”安堵感でした。全てから解放された思いだったのです。

私にとっての甲子園は「野球」を「人」を成長させてくれ、そして今も、当時の甲子園で戦った多くの友人との交流が続いていて、私の財産となっているのです。因みに、三池工業の監督は原貢さん(故人)息子は元巨人の原辰徳君。「縁は異なもの味なもの」今後も多くの方々との交流をお話しますのでお楽しみに!

12 銚子スポーツタウンコラム 私と甲子園(最終回)

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