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【第9回】銚子スポーツタウンコラム 私と甲子園(その3)

昭和38年(1963年)千葉県大会の予選で利き腕の『右肩』にデットボールを受けて、宿舎近くの千葉大学附属病院で診てもらった所、問診だけで「打撲」と診断されて内心ホットしたものの、痛みに耐えて試合には出続けて優勝し故郷銚子に帰って来たのですが、しかし、依然として右肩の痛みは引かず。チームは第45回甲子園大会出場の準備で忙しい中、私は斎藤監督に内緒で地元の病院で診察を受けたところ、“これは大変なことだよ。複雑骨折しているぞ”と。私でもレントゲン写真にはハッキリと分かるほどで、“内心危惧していたことが現実になってしまい、全身から力が抜ける思いでした。“先生、このことは学校、斉藤監督には内緒にお願いします”。所が、翌日、斉藤監督に呼び出され、病院から既に連絡が入り全てを聞かされていたのでした。

私が一番恐れたのは夢の甲子園出場を果たしながら、試合に出場出来ないことだったのです。しかし、甲子園大会遠征メンバーには入っていて一安心でした。

関西入りしても練習では投げることを禁止され、バッティングもトス程度で練習らしい事は出来ず悔しい毎日を送ったのでした。そして、大会が近づくと学校長、OB会長、後援会長、斉藤監督、部長、そして、父親と私との話し合いが持たれたのでした。斎藤監督以下は、“まだ1年生で将来ある選手を無理させたくない”。しかし、父は私の心の内を見抜いていたかのように、“一つだけ聞かせて下さい。息子がチームの為に必要かどうかです。” 斎藤監督は“当然、チームの主軸だから必要だ”と。“それなら、息子の将来の事は父親である私が全責任を持つので、試合に出して欲しい”。 結局、この一言で出場が決まったのでした。

甲子園練習日で1歩足を踏み入れた時の感動、輝く芝生、球場の大きさ、そして、天にまで届くような観客席は正しく「夢・聖地」そのものでした。そして、真新しいユニホームと県大会の優勝旗も誇らしくいざ入場式。球場に入った瞬間、超満員で膨れ上がった球場。歓声、「栄冠は君に輝く」の演奏で緊張感は頂点に達し、まるで「雲の上を歩いているような」初めての体験をしたのでした。

次回をお楽しに。

9 銚子スポーツタウンコラム私と甲子園(その3)

 

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