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【第8回】銚子スポーツタウンコラム 私と甲子園(その2)

甲子園球場は阪神電鉄が所有している野球場で、ご存知のように阪神タイガースのホームグランドとして、多くのプロ野球ファンにも愛されています。大正13年の完成で歴史的に由緒が有り、夏の全国高校野球大会が開催されてすでに100年以上が経っている甲子園球場。通称「甲子園」は春夏の高校野球大会の代名詞となり、球児にとって憧れであり夢の聖地なのです。

私は第45回大会(1963年)と47回大会(1965年)のいずれも夏の大会に出場しています。あれから既に、60年以上も前でも想い出は鮮明に蘇って来て、これからも忘れることはないでしょう。

先ず、私が1年生で出場した第45回大会は記念大会は、1県1校の記念大会の年でした。銚子1中で厳しい指導を受けた私は、1年前に銚子商業に転任した斎藤一之監督の後を追って銚子商業に入学。春季大会からレギュラーとして1塁手6番で出場しました。斎藤監督は銚子1中での指導力を買われて、銚子商業の監督に就任し2年目で甲子園出場を果たしたのでした。

私が銚子商入学についてエピソードが有って、これは、後になって父親から聞いた話です。私が銚子1中から高校進学するに当たって斉藤監督は “正明君を是非、銚子商業へ”と、自宅に勧誘に訪れたのでした。“甲子園出場するために絶対に来て欲しい”と。そこで父親は“わし(私)と1週間酒を付き合ってくれたら、倅(せがれ)を預ける”だったのでした。すでに、銚子1中で指導を受けていた私は、銚子商業に進学することを決めていたのですが、親父はゆっくり斎藤監督と一杯やりたかったのでしょう。“最近、斉藤監督が自宅に度々顔を出すな”程度の認識だったのです。2人共、大の酒好きなので楽しく話も酒も進み、夢を語った事でしょう。

昭和38年の千葉県大会では1年生で6番1塁手で出場でしたが、しかし、打席で大変なアクシデントが起きてしまったのでした。これは私の野球生命に関わる大きな出来事だったのですが、痛みをおして決勝戦まで試合に出続けたのでした。それでは、又、次回をお楽しみに。

8 銚子スポーツタウンコラム(私と甲子園(その2)

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